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「子どもに選ばれた」が苦しかった話|言えなかった本音

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前を向こうとする自分と、向けない自分。
気持ちを落ち着かせるために友人と会うものの、励ましの言葉がしんどい。
そう思ったことありませんか…?

目次

この記事で伝えたいこと

障害を受ける入れるまでは、一直線ではありませんでした

励ましの言葉が苦しいのは、おかしいことではありません

優しさを素直に受け取れない時期があっても、大丈夫です

今日は、その時期に私が誰にも言えなかった本音を記事にしてみました。


毎日泣いていた、本当の理由

忘れもしないあの日。
健康だと信じて疑わなかった息子が知的障害になりますって言われた衝撃は忘れられない。

私が泣いているのをみた人には
「子どもの将来を思って泣いているんだろう」と思われていたのかな。


でも違う。
私は息子を心配してというよりも自分に同情して泣いてました。
自分の人生が終わったと思って、泣いていましたね。

告知を受ける前まで、友達とスタバで夫の愚痴を話したり。
普通の女子が、普通に仕事や休日の話をしていたんですよ。
それなのにいきなり
「知的障害児です。お母さん、頑張ってください」って…

無理だよ、って思いません?
心の準備なんてできるわけがないと思います。
子どものことより先に、自分の人生が終わっていくような感覚。
そう感じてしまう自分も嫌。

でも、いまなら思います。
その感情も、障害を受け入れるまでに必要な過程だったんだなって。


保健師さんに、見栄を張っていた話

家庭訪問や健診で、保健師さんと話す機会がありました。

本当は、しんどくて仕方なかった時期です。

それなのに、決まってこう言っていました。

「大丈夫です。頑張れてます」

保健師さんは、こちらの状況を理解してくれる専門職の方です。

弱音を吐いてもいい相手だったはずなのに、なぜかカッコつけてしまいました。

大丈夫じゃないのに、大丈夫なふりをする。

弱っているところを見せたら、母親として失格だと思われるんじゃないか。

そんな気持ちが、どこかにあったんだと思います。

同じころ、「受け入れられてきた?」と聞かれることも増えました。

悪気がないのは分かっています。

心配して聞いてくれているのも分かっています。

でも、その質問に「はい」と答えるたび、少し嘘をついている気がしていました。

受け入れるって、どこがゴールなんだろう。

そんなことを、ずっと考えていました。


「あなたは子どもに選ばれたんだよ」と言われた日

しんどさを一人で抱えきれなくなって、思い切って友達に話したことがあります。

誰かに聞いてほしかった。

それだけでした。

返ってきたのは、この言葉でした。

「あなたは子どもに選ばれたんだよ。頑張って」

励まそうとしてくれているのは、痛いほど伝わりました。

友達に悪気がないことも、分かっていました。

それでも、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がすっと冷たくなったのを覚えています。


本当は、「選ばれたくなかった」

💬 正直に書きます。

選ばれたなんて、思えませんでした。

本当は、健康な子どもに選ばれたかった。

障害のある子になんて、選ばれたくなかった。

そう思ってしまう自分がいました。

「選ばれた」という言葉は、まるで私が望んでこの道を選んだかのように聞こえました。

でも、望んだ覚えなんてなかったんです。

苦しさを、いつのまにか名誉なことにすり替えられているような感覚。

そのすり替えのせいで、しんどいと言うことすら、間違っているような気がしてしまいました。

そして、もうひとつ。

その友達のことを、責めたいわけではありません。

いまも変わらず、大切な友達です。

それでも、しばらくの間だけ、会いたくないと感じていました。

健常のお子さんを育てている友達に、「気持ちなんて分からないでしょ」と、心の中で思ってしまったからです。

思ってしまった自分に、後ろめたさもありました。

励ましてくれた相手を、心の中で拒絶している。

そんな自分がいやで、しばらく距離を置いてしまいました。

優しさを、素直に受け取れない時期があってもいい。

いまはそう思えますが、当時はそんな自分を責めてばかりいました。


「才能があるんでしょ」も、しんどかった

もうひとつ、よく言われて苦しかった言葉があります。

「障害のある子って、何か特別な才能があるっていうよね」

これも、励ましのつもりで言われることが多い言葉です。

でも聞くたびに、こう思っていました。

才能がなきゃ、ダメなの?

何もなくても、ただそこにいてくれるだけで十分なはずなのに。

才能という条件がついた瞬間、何かが変わってしまう気がしました。

うちの子の存在そのものが、何かを証明しなければいけないものになってしまう。

そんなふうに感じられたんです。


受容は、一直線じゃなかった

こうして振り返ると、当時の私は「受け入れる」ことを、どこかゴールのように捉えていたんだと思います。

でも実際は、そうではありませんでした。

昨日は前を向けたのに、今日はまた落ち込む。

その行ったり来たりの繰り返しでした。

一直線に前を向けるようになるものだと思っていたので、後退しているように感じるたびに、自分を責めていました。

でもいまは、それでよかったんだと思っています。

進んでいないように見える日も、ちゃんと途中でした。


同じ気持ちの方へ|私が救われた考え方

いま「選ばれたくなかった」と思ってしまっている方がいたら。

その気持ちは、おかしくありません。

母親失格でもありません。

私も、ずっとそう思っていました。

そのうえで、当時の私が知りたかったことを3つ書きます。

① 言葉を選んで話す相手を、変えていい

私は、専門職の方には見栄を張り、友達には正直に話して傷つきました。

いま思えば、逆でもよかったんです。

保健師さん、相談支援専門員、療育の先生。

仕事として聞いてくれる人のほうが、正直に話しやすいことがあります。

② 「受け入れられましたか」に、答えなくていい

答えられない質問には、こう返していいと思っています。

「まだ、よく分からないです」

これで十分でした。嘘をつくより、ずっと楽になります。

③ 明日やることは、これひとつです

今日しんどかったことを、1行だけメモしてみてください。

誰にも見せなくていいです。スマホのメモで十分です。

言葉にできないまま抱えているものが、書くと少しだけ形になります。

私は当時これをやっていませんでした。

やっていたら、もう少し早く楽になれたかもしれないと思っています。


今、伝えたいこと

あの日、カフェで恋愛の話をしていた自分は、もういません。

あれから何度も泣いて、何度も笑って、気づけば長い時間が経ちました。

受け入れられたかどうか、正直いまでも分かりません。

分からないまま、今日も洗濯物を干しています。

それでいいのかもしれません。

少しでも、気持ちが軽くなっていたらうれしいです。


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